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隠匿 - 見られたくない、見たくない

タバコを切らして、寝起きに近所の自販機まで買いに出かけたときだ。夜も遅かった。

いざ自販機の前まできて、タスポを忘れたことに気づく。それも、すでに大量の十円玉を投入したあとのことだった。

当時は自販機でタバコを買うのにタスポが必要なのはもちろん、まだ販売時間に制限のかかっているころだった。

(取りに帰っていて間に合うだろうか……このまま大人しくコンビニへ足を運ぶべきか)

一枚、また一枚と音を立てて返ってくる十円玉を釣り銭口越しに見つめていた。昔と違い、タバコの自販機もまず両替が効かなくなった。

ふと斜め後ろで人の気配を感じ、目をやった。

若い女性が肩からぶら下げたバッグに手を入れ、ゴソゴソやっている。

(この人にタスポを貸してもらえるよう頼もうか)

そう思ったものの、夜も更けた自販機の明かりに頼る暗い場所。見ず知らずの若い女性に、声をかける勇気はなかった。

小銭を無造作にポケットへ詰め込み、自販機から踵を返したとき、

「すいません……」

女性が少し屈むようにして、

「タスポ……貸してもらえませんか? あの、カードなんですけど」

両手の人差し指で空に四角を作る彼女が、まさか自分と同じ状況だとは思わなかった。

ーー僕も忘れて……

そう言うと女性はちょっと目を丸くしたあと、「そうですか」と残念そうに顔を伏せた。

ああ、ハイとタスポを手渡せれば、少しはいい格好もできたのにと思ったときだ。

心なしか女性の顔がぼやけて見える。

おかしく思い、何度か瞬きをしているうち、ぼんやりと薄いモザイクのようなものがかかり出した。

ーーたまにある。

街中で、駅で、車にバイクに乗っているとき。すれ違う人の中に、顔だけがすりガラスの向こう側に見えるような……

ヤスリをかけたような……

普通に見えていた顔が、見えなくなっていくのは初めての経験だった。

もうなにも言わずに、慌てて女性から離れた。



コンタクトレンズをしたまま寝てしまったので、目がかすんでいるだけかもしれない。そう思いながら、気づけば家に帰ってしまっていた。

タスポを持ち出し、顔を洗ってメガネに変えて、再び自販機へと向かう。

ガコッン……

ギリギリ間に合い、やっとの思いでタバコを手に入れた。さあ、帰ろうと振り向く。

「ゴメン、タスポ貸してくんない?」

開いた手の平を僕へ差し向けたのは、いかにもなギャルだった。

日に二度も見知らぬ人から、同じ自販機前でタスポを貸してくれと頼まれるなんて珍しい。それも揃って若い女性。

女はこういうとき強い。変に思われるかも、と尻込みする男性的な心配はなくて、むしろ若干の不安より目先の目的なのか。

どうでもいいが、忘れたとか、持ってない以前に「持てない」可能性が捨てきれない。

声をかけてきたのは明らかに十代……ヘタすると15、6歳に思えた。

タスポを貸していいものか、どうかうつむき悩んでいて、

「え? 持ってない?」

チラリ見上げた先、モザイクがかった顔が蠢き、バラバラとパーツが落ちていきそうな勢いを感じて思わずのけ反った。

夢の話ではない。おかしな薬はやっていない。

さすがにそろそろ「こいつ頭おかしいんじゃないか?」と思われて妥当だが、起こったことに違いない。

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