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自縛 - ピーピーおじさん

僕が小学生のころ、「ピーピーおじさん」と呼ばれる地元でちょっとした有名人がいた。

おじさんと言っても、もうおじいさんに近かった。

その正体は学童擁護員で、いわゆる緑のおばさんの男バージョン。緑のおじさんだ。

いつも怖い顔して、ことあるごとに胸からぶら下げたトレードマークのホイッスル笛を鳴らす。

だから、ピーピーおじさん。

児童が交通ルールを守ろうとしなかったとき、あざとくそれらを見つけては笛を鳴らす。

言うことを聞かなければ問答無用で追いかけてきて、もう一度正しい交通ルールでやり直しをさせられる。女の子も、教師でさえも例外はなかった。

「ピーピーおじさんの子供は、交通事故で死んだ」

嘘か誠かそんな噂も耳にした。

そんなピーピーおじさんが笑うのは年に一度、バレンタインデーの日だけだった。

女性教諭や女子児童にもらったチョコレートに顔をほころばせ、ベソかきながら帰る男子児童に隠れておすそ分けする。

もらえない僕らは「エロジジイ!」と揶揄して逃げ回っていた。

ピーピーおじさんの姿が見えなくなったのは、突然だった。



いつもピーピーおじさんが立っていた場所には花が置かれた。笛の音も聞こえなくなった。

それから、付近で交通事故が多発するようになった。

「ピーピーおじさんの呪いだ」

僕らはこんな噂で騒いだが、真実は全くの逆で「うるさいジジイがいなくなった」と横暴な運転をする車両が増えたのだ。

今思えば、当時は整備が行き届いておらず、見通しの悪い、信号もない危険地帯だった。

実質、年老いた学童擁護員たった一人の力に頼り切りで、誰も、なにもしていなかった。

信号設置を要請する署名が集められ、嘆願書も出されたが、事態はすぐに好転するようなことはなかった。



大人たちの気持ちなんぞ露知らずーー

ピーピーおじさんのコトもすぐに忘れて、僕たちは好き好きにはしゃいで登下校していた。

正直、まだ人の「死」にピンときていない部分もあったように思う。

新たな学童擁護員もきて、若い教諭が下校につき添うようになったが、ほぼ意味はなかった。

昨日、今日「先生」になった人間が、何年そこら人間やっただけの大勢をまとめるなど無理がある。新しいおじさんも戸惑うばかりだった。

「危ない!」

女性教諭が声を上げた先、一台のトラックが急ブレーキをかけた。

「ひき殺すぞ! クソガキ!」

窓を開けた運転席から、オッサンがが鳴り散らしていた。

なにか、女性教諭も反論していたように思うが、若い女が太刀打ちできようハズもない相手だ。

幼い僕らが見て明らかに女性教諭が半泣きになったころ、

ホイッスル笛の音が鳴り響いた。

聞いたのは僕だけではなかった。

周りの子たちも、トラックの運転手も急に大人しくなった。

"ピィー! ピピピ! ピイーー!"

ピーピーおじさんの笛だった。独特のリズムは、間違いなくおじさんのものだった。

女性教諭だけが聞こえていないのか、周りの異変に首を振り続けていたのを覚えている。

「ピーピーおじさんの笛や」

誰かが呟いた。

これ見よがしな舌打ちとともに窓を閉めたトラック運転手は、そのまま撫然として動かなくなってしまった。

僕はそのとき以来、笛の音は聞いていないが、それから何度も同じことがあったようで、一時期その話題で学校中は持ち切りだった。

それから、事故はピタリと止んだ。

大人になって長距離トラックに乗っていたことのある元同僚から聞いた話しだが、トラック運転手は道にまつわる情報交換を行うそうだ。

地域的にアレな場所。警察がよく張っている一体。そして、明確な実害の上げられない注意を要する道。

元同僚は、あの道のルールを教えてくれた。



ある年の卒業式に、一人の老婆が呼ばれた。

立派な肩書きの来賓者が読み上げられる中、ただ一人、遺影を抱えた老婆は、

「ピーピーおじさんの奥さん」

そう呼ばれると、立ち上がり抱えた遺影ごと四方八方へ頭を下げていた。

ピーピーおじさんが生きていたあの時代、小学生だった僕らは、今でもあの道を「ピーピー道路」と呼ぶ。

悲しいかな、今では地元のごくごく限られた一部にしか通じない隠語となってしまった。

死してなお児童を守り続ける学童擁護員の鏡には申しわけないが、道も整備され、信号も取りつけられた今、安らかに眠って欲しいと思う。

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